2019年9月26日木曜日

ご無沙汰してます。

「人生は重荷を背負って歩むが如し」
今年になって回りの拳友、友人を数々失った。
皆若かれし時は元気薬みたいな人達だった。
それぞれ思いを持って生きてきた。
その中で生き甲斐を育てて来た人は、死して名を残す、
9月29日日曜日は先代宗家、開祖生誕100年の供養を全日本少林寺流空手道、錬心舘総本山、伊集院の草木しげる錬心舘空手道の聖地で夜半竹灯篭の幻想的な中で挙行される、
私は家内の三回忌法要でどうしても、伺う事が出来ない、

先代保勇宗家は大分県から家出同然に鹿児島を尋ねた、高校卒業下手の私に多くの教訓を頂いた事を思い出す。
若者の血気盛んな心に、手厳しい、叱りの中に情を持って長い時間話されてたあの頃、昨日の様でもある。
戦後荒廃した日本の中で空手道を持って人間形成を鹿児島の一角から旗揚げして、一流を打ち立てた。
先代を父と慕う者は多い、武道以外に宗家の語りは、いつも力があった、一言言っては「そうだろ❗」と確認してた、あの姿を思い出す、
錬心舘創世記時代の私は、後輩に伝えて行かねばならない。
父の血を引いた熱血漢だった二代目も国際に目を向け目的半ばで旅だった、断念でならない、
いろんな事柄をしょって三代目が孤軍奮闘している、
時は流れ時代は移り、価値観も私達の時代とは異なる、
四人の孫達と同居してるが、ものの筋道が違う、苦労してる、
自分さえ良ければいい、今が楽しければいい、が基本にある様で、体はデカイが、口は達人だが受け身になった時、打たれ弱い人種では無いかと危惧してる。
空手道で持って人造り、多様化した時代、個の形成は拳理の中にある気がする。
競技の結果だけに囚われてはならない、人造りこそ、その役割に思えてならない、それは綺麗事だろうか、指導者の指導力による、ここに先代の偉業を讃え哀悼の意を捧げます。合掌