2014年7月31日木曜日

7.31 木曜日【木を見て山をみん】



【空手は湯の如く、絶えず熱を与えざればただの水にかえる】

意識を持って常に練習しなさい、練習やってない人は気持ちだけあっても、失ってますよ。
言い訳やご都合主義は自分をただ甘やかす、手段です。
理屈より実行、どこかで、常に自己を鍛えておかなければ、楽な事にしか気持ちいかなくなったら、成長は止まってしまいます。

2014年7月30日水曜日

7.30 水曜日





本部道場
思い付き基本動作写真。力は足から起こり、足腰動作の順に連貫して活かされる。
力に頼らず腰と股関の使い方が大切です。形は気節を作り、体の使い方を学ぶ、正しい体の運用なされて力が付いてくる。
諦め無いこと、諦め無いこと、根気良く地味な事が内容を育てます。
頑張って下さいね、、館長三代

2014年7月29日火曜日

7.29 暑い暑い日

ここ数日、暑い日々、夏本番です!
学校も夏休み、思い出の残る夏にしてくださいね。今日の思い付きです!

人間はみんな、そんなに強くはない、体も心も傷付きやすいし壊れ安い。しかし、確り生きようと皆頑張ってる。自分に何が出来るか考えよう、私は空手を通じて、縁ある一握りの人達かもしれませんが、しっかり対話が出来る、物事に責任の持てる暖かい心を持てる事を言い続けたいと思います。
毎日、不心得な内容の犯罪は後をたたない。
その人の側にいると幸せな気持ちになれる、その様な人でありたいと思う。
毎日が塾漬け、勉強漬けな受験生、息抜きが大切ですね!
息抜きは、頭使いすぎ、登った血液を全体に滞りなく、運動が大切ですね!
心が行き詰まったら、体を動かしてね、夏本番!
良い夏を!館長三代

2014年7月26日土曜日

【第三回】 特別寄橋 衛藤文秋!

今から20年前のものです。記念誌寄橋文、友人宮大工、衛藤文秋!第三回
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【演武会】

翌春、俺らの道場も20人を越えた。
皆に見てもらうんだ、近くの小学校に会場かりに二人で行ったよ!

「お前ここにおれ、まっちょけ」

職員室に入る。30分位して、

「三代帰ります!」

入る時より大きな声。

「校長一人で決めきらん、金玉ん小いせえやっちやぁ。明日三重の教育委員会にいっち来る」

結局借りたよ!怪物三代だ。今でも田舎はむっかしいんじやぁないか。
手造りと言っても銭が要るよ!
プログラムに広告載せて寄付して貰おうという。
二人ずつ組んで三重町、全て回った。こうして、三代さんを大将に小さな演武会が出来た。
その日、俺らが働いた土建屋の親父、酒とビ—ルを

「祝いじゃあ」

高校生に酒持って来た。一時が万事、田舎はオ—プンよ。
土建屋の親父若い頃は、名を出した侠客だったち、近所ん人が言うちょった。
貫禄あったで、体中絵描いとる。
そん親父がで、

「衛藤お前んとこん、大将スゲーのお」

良くしてくれたよ!当時五十歳位、こんな人からも好かれちょった。
終わってからも、大変じゃあ!全員掃除、

「前より綺麗にする様に」


【突撃】

天気のいい日、近所の子供集め、山登るんよ。昼飯は三代さんの握り飯。
ただ歩くんでないんよ、急に立ち止まり、向こうを目指し、指をさし

「敵陣発見、全員突撃」

軍隊調よ、そして先に走り出す。遅れた小さな子は泣きながら、それでも走る。
だけど、正ちゃん、正ちゃん、と慕われていたよ!
今も、突撃好きでないかな、常に突撃よ。


【西瓜】

たまに、悪い事もするんで。
西瓜獲りにじゃなく食いに行こう。
節を除き先を尖らせた小さな竹を用意する。
裸に墨を塗り合う、夜、西瓜畑に行くんだ。それぞれ手探りで西瓜をひっくり返して、竹を刺し、かき回して、汁を吸う、腹いっばい成ったら元通りにしておく。
いつか、おかしいと思った畑のおっさんが番しているんよ。
何時も通り行ったよ!一人が小さな声、

「誰かおるで!」

タバコ吸う度、明るくなっていた。
三代さん、

「バカ!ありゃ、ホタルじゃ」

おっさんの少し前で見つかった!

「コラー!」

何処をどうやって逃げたやら、誰も捕まらんかった!
皆あっちこっち傷だらけ、三代さんのおっさん、

「バカンジヨウガ」

と一緒に大笑いした。後日校内で噂に成った。
追われながら、両脇と口にくわえ、計三個持ち帰ったんだと、又皆大笑い。

「ヤッパリ怪物だー」

一緒にいると楽しかった!


【大工入り】

俺は、高校二年の二月に学校辞めた。悪い事何もしてない。休んだ事もない、大工になりたかったんだ!
何日も考えた。三代さんに相談した!

「お前が決めたんなら何も言わん!頑張れ!男なら、蛇の尻尾より、鶏の頭じゃあ、衛藤!」

これで、吹っ切れたよ!自分が主人公て事か。
大工の弟子についた1ヶ月位経ったある日、

「衛藤がお世話になっています。宜しくお願いします!」

親方と奥さんに挨拶してくれた。
その夜、親方と飯を食べて、弟子の小さな部屋で遅くまで話をしたよ。
三代さん、足つかえるため、斜めになって寝た!
俺は、その小さな部屋で、7年間、大工の手練を重ねた。


【俺の宝物】

何年かして、横浜へ会いに行った。
夜二人で外人墓地に行ったんや!

「懐かしいのお、衛藤!スマンの衛藤!お前来ても、今ん俺じゃ、飯も食わされん!」

ちゅうて、泣いちょった、あの強い三代さんかだよ!
俺も泣いた!
次の日、

「何も土産がないけん今の俺を見てくれ」

一生懸命演武してくれたよ!二人だけよ、涙が止まらなかった!
大分に帰る日、良く洗濯された胸に三代と入った、縫い込みの道着と黒帯をくれたよ!
今でも大事に大切にしている。
俺の長男、正拳て名だ。名付け親は三代さん。名付け親が良いのでスクスク育っている。
この子には、小さい時から三代さんのはなしをしている。
今では俺の知ってる事は全て知っている。
長女、麻衣、大学四年も同じだ。

「又、父さん酒のんで、昔話」

と笑う、今まで私は手紙を書いた事がない、全部、女房に代筆させた、初めてです。
あの三代さんの人間味は、手紙では書けません!

皆さんが羨ましいです。終わり

・・・・・・・・
舘長、改めて、懐かしい、時時を想いながら、衛藤の文章を打ちました。
時代は、星影のワルツ、高校三年生、惜別の歌、とかが流行っていた時代。
高校一年の時、東京オリンピックがあった。
自分の事を恥ずかしい思いで受け止め、歳月の重みを感じます。
衛藤の人柄を改めて、感じ、今横浜で46年の時間がたち、世の中全てが変わりましたね!

2014年7月25日金曜日

【二回目】 特別寄橋 衛藤文秋

【台風】

ある夏、台風のため鉄道が不通となった。
遠い者は家まで70kmもある。嵐の中30人歩いた。
10km行くとみんな無口になる。

「俺銭借りてくる」

とトヨタの事務所に行き、知らない人から銭を借りてくれた。
家の遠い順にタクシーで帰らせた。俺ら56人は歩きだ。
そんなに銭はない。

10時頃三代さんの家に着いた。
握り飯を作ってくれた。皆すぐ寝る。

三代さんは良く勉強した。俺にはせいとは一回も言わん。
成績は一番か二番。
それより何より凄いのは思いやりと行動力。
高校の頃からあったで、昔から怪物三代と呼ばれていた。


【三代さんの家】

父さん、変わった人だ。
仕事は新聞販売店、牛乳の配達、百姓はしてなかった、と思う。
人の目は気にせん。

「おっさん単車のマフラー直しちやろうか」

もう何日も引きずって乗っている。

「やちもねえ事せんでいい、壊れたら買い直す」

新車が入った、もう泥だらけ。

「おっさん、掃除しちやろうか」

「せんでいい、どうせ又汚れる、おら会社が作った物はすかんのじぁ」

こんな人でした。
母は幼い時死んだ。覚えてないそうだ。
二度目の母が彼を育てた。中学の時その優しい母も死んだ。
私は思う、電波高等学校を選んだのはその母の在所に近かかったからではないか。時々墓参り行ってたんじゃないかな、と。

初めて家に行った頃は、おっさんと二人暮らしだった。
毎朝5時に起き飯を炊き自分で弁当を作って新聞配達、7時前に汽車に乗る、帰って来ると又飯炊いて空手の練習。
時間が足りない、汽車の中しか勉強出来ないと言う。

そんな秋!

「衛藤、今日三人目が来る」

「ほんなら俺、今日は家に帰るわ」

「構わん、泊まれ」

新しい奥さんに

「衛藤です、お願いします」

三代さん、奥さん、おっさん、何も言わん。
そのまま道着を着て神社で練習又練習。彼は無言だった。
その後一年後奥さん変わった。そんな環境の中で、明るく、真っ直ぐ、強く、凄い人だなぁと何時も思ってたよ。
おっさんはやさしさを出さない人だった。


【野外道場】

ある日、道場を作ろうと言い出した。
候補地は三代の家の上の小山、木も生えてる山だ。今は夏休み

「明日全員、鎌、スコップ、を持ってこい!」

俺なんか汽車だよ!カッコ悪いよ。でも78人集まった。
皆毎日やったよ!掘った土は家の裏に落とすのよ!
普通やったら、怒るで、でもおっさん、何も言わん、言わん!
どころか笑ってる。1週間もすると16帖位の平地が完成だ、嬉しかったよ、俺らの手造り道場だ、入り口も無いのに皆一礼している。
三代さんますます張り切って、皆家の裏に蹴り落とされるのよ!楽しかったな!
三代さんは練習のし過ぎでもうこの頃から菊の紋が崩れちょった。

ある日、
「俺がご馳走しちゃるき、今から皆で蛙を取ってこい」

あの大きな食用蛙だ、皆嫌だよ、でも二匹収穫して帰る。

「おお上等」

と言って生板の上で皮を剥ぐのよ!巧い、慣れてる。
皆顔見合せて、

「あんた日頃そげんもんばっかし喰ろうちょるんかい」

「バカ、これが、うめーえちゃ」

見る見るフライにした。何人かは食ったが、俺は食えなかった。
三代一人

「うめーうめー」

道場が出来て前にも増して人が集まった。小学生、中学生、何でか今も分からない。
只、一緒に居ると、気持ちいい、嬉しい、優しくなれる」
皆でサンドバッグ買おうと決めた。銭がない!
三代さんが土方の仕事を見つけて来た、暑い夏!日中水路に入って頑張った。
皆一生懸命やった。
34日行ってサンドバッグ一個。大変だったよ。  

7.25 特別寄橋 【第一回】衛藤文秋

【出会い】

私は農家の三男として生まれ、中学卒業後大分電波高等学校へ入学した。
成績はアホだ。この学校の一年先輩に三代さんがいた。学校は汽車で一時間半位かかる、二駅離れた通学の途中に三代さんの家があった。


初めて会った時は校門の前、胸を張り

「オハヨウ!」

と生徒に声を掛け、服装の良くない者に

「明日までにビシッとして来るように!」

と後輩先輩を問わず注意をしていた。
その時は生徒会の人かなと思いました。
後でわかったのだが、この学校には生徒会はなく、自主的に行っていたのだそうだ。

朝礼の時ザワザワしていると、校長より先に台に上がり

「皆さん!オハヨウございます」

するとシ—ンとしたものだ。


ここは県内随一電波男子校で、広範囲から寄せ集めで、頭のいいのも、アホもいる変わった学校である。
全校500人、中で最も特別なのが三代さん。とにかく、真っ直ぐ、曲がった事は大嫌い。
ある時授業中いきなり、

「先生失礼します」

教室へ入って来た。

「全員起立、手を頭の上に!」

前から順にポケットの検査。
タバコ、凶器を持ってる者はその場でゲンコツ、何も言わん!
注意もせん、先生にも言わん!全員済むと、

「どうも授業中失礼しました」

と出ていく。誰も文句を言わん!
初めての先生はキョトンとしている。
年に何度かあった。

それでも人気があった。
今思えば新貝少年院とも呼ばれたこの学校を何とか良くしたいと一人で行動に出ていたんだなぁと思う。

7.25 特別寄橋 創立記念大会誌より

創立記念誌【1998.8.23発行日】

寄橋者大分県、衛藤文秋、いろいろ思い出の記事がありました!
中でも一番手応えあり反響を呼んだ記事、衛藤文秋さんは舘長の高校の一級後輩で、宮大工が夢で、名工となり、こだわり職人となり、宮大工の棟梁となりました。

気骨のある人情深い暖かい男でした。
数ヶ月前に、突然電話がありました。相思相愛の奥さんが癌の病魔に侵され、苦しい身の置き場なかったのでしょう。私を思い出しての電話でした。高校時代河原の土手で彼が歌う演歌は、哀愁があり故郷があった。私も苦しくて、奥さんのその後の病状伺っていません。
学生時代、青春真っ只中、友人衛藤からの便りを明日から連載します。
人の出逢い、人の心、人情豊かな時代。
再度の声に答えます。

2014年7月21日月曜日

7.21 月曜日祭日昇級段審査

関東地区本部 定期昇級段審査会
横浜市中区山下町(中華街)中央道場(通称今井道場)で行われた!

一般生徒が大半でその半数が女性、この道場(今井実師範)は新しい発想を持ち、人々のコミュニティの場所になっている。次世代の師範達に頑張って貰いたい。
写真は審査が終わり、合格者が書類の手続きをしているところ。

関東地区本部は京急上大岡駅から高台の別所の住宅街の中にある!

礼節の気節正しい空気の中!厳正に審査が行われる。

2014年7月14日月曜日

2014.7.14 関東地区本部訓

時を守り 場を清め
礼を尽くして 技を練る
人には恩を忘れず
親には孝行し
勤勉に勤め
練胆護身を持って
空手道となす

先代宗家が道統少林寺流、錬心舘の命名には時代背景もあったと思う。
あえて練でなく錬、館でなく舘、意味は深い。考えて見るといい、戦後荒廃した中、空手道でもって、武育に救いを求めた宗家、次代を担う青少年に夢や希望を送り続けた宗家、錬心舘を命名したのには不断の想いがあったに違いない。
時代は移り変わり、経済の時代となった!
忘れ去られた心を三年前に体調不調なった折、【錬心舘】の精神を私の勝手な解釈で時世の訓を作って見た。組織的に広がるといろいろ問題が生まれる、風評被害もある。
礼を尽くして、徳を積む事でないのかな、と思う。
上大岡別所、本部道場にて 舘長三代

2014年7月13日日曜日

2014.7.12 今日の1日


関東地区本部は三代正廣が旗をあげ、関東錬心舘の老舗です。
46年の歴史を持ち、鹿児島より故先代保勇創始宗家の意思を持ち、横浜中華街より始まりました。
事務所、本部道場は京急上大岡から10分高台の住宅街の中にあります。
意思を継いだ直接支部、横浜南支部野仲忠師範、中華街での中央道場「今井道場今井実師範」、中華街華橋総会体育室、山手駅上仲尾台中学格技室林和明師範、埼玉県三郷市青島幸治師範、千葉県君津市西牟田利光師範がそれぞれの個性を生かし、普及活動に尽力を注いでる。
横浜近隣に同名練心館がありますが、関東地区本部とは直接交流はありません。
本館のホ—ムページ暫く不都合あり検索出来ませんでした。

少林寺流空手道錬心舘は鹿児島県日置郡伊集院町拳士が丘、緑豊かな山中に全国を統括する錬心舘総本山があります。
人間形成を、人命尊重を指導理念とし防具付空手道普及の拳団です。
安全性を第一とし、技術は沖縄琉球武士達人喜屋竹朝徳先生の直流で先代保勇宗家が編み出した、特徴ある組手技術、古流柔術、古武道、合わせ、創始宗家として、尽力を尽くす、先代の意思を継ぎ、現在は二代目保巌宗家が拳団を統率する。
内外に精力的に普及活動に努力されています。
錬心舘は青少年の健全な育成に貢献してきた長い歴史。時代が変わろうと武道の持つ武徳はかけがえのない、日本人の大切な精神です。私たち指導者の見識、力量の研鑽は不可欠です。

これから又新しく【舘長のつぶやき】として続けてまいります。よろしくお願い致します。
本日の練習風景を入れました。暑い日でした。

一部文字化けする時はHP で御覧ください!