2016年5月30日月曜日

思い出

良い思い出は次第に色褪せてくるが、忘れがたい思い出は五までも心の片隅にへばりついている。何とも断念な一昨年太極拳の友人故人加藤修三先生、5月6日に連絡うけたアメリカワシントンDC 佐藤譲二三段の訃報、人生の終わりを惜しんで止まない。これまで出来るだけの事を努力した!その時々の出合いがあり、顔があり、切磋琢磨した、良い事悪いこと順番にやってくる、その都度悪いこと状況をあったことを過去として、過去に踏ん切りをつけ、踏ん切りをつけてやるべき事をやって来た、世のうつろいは目まぐるしく変わる。苦い過去は次のバネになってきた。ある年齢となり体のあちこちガタきながら、これまで暗中模索の時間は困難ばかりであったが、素晴らしい人生経験だったと思う。二つの団体を運営し性根のあるもの達が育って来てる。中でも故人となった佐藤譲二三段はアメリカンスクール時代夢見る自由人で風流で知的な男で出会った。館長語録と言って私と生徒との日常の話の掛け合いをすべて書き留め引用して皆を笑わせてた、早すぎる突然の訃報に無念で成らない、アメリカからも良くメールが届いてた、オバマ大統領の通訳も勤めた、国防省の仕事で年一度帰国したら必ず連絡頂きあっていた。情の厚い男出会った。亡くなった友人御弟子さんのためにもその分努力は惜しまない、つまらない派閥する者、影であること無いこと思索するもの、人の為なら?ご自身の私利私欲の事なら、天の裁きを受けますよ。武道は人の道理がなければね、風評が耳障りに届く、外は雨、道場は小さい子ども達が自主的に大きな声出して練習している。

2016年5月28日土曜日

5月も終わり土曜日

5月も終わります。野山は新緑に包まれ陽気は初夏を思わせるこの頃です、季節感が早くなってる気もする。土曜日のみ一般も含め道場としての空気が流れる、平日は時間帯もあり小学低学年が手厚い指導を受けてる。恵まれた環境です。道は近くても歩まねば着かない、内容充実してる本部道場は知るひとしか知らない、今日もいい汗だくかいていた。少年の邪心の無い気合いは、清涼剤、各自の持ってる良いものをどんどん引き出し、自信を与えられたら、人生の宝物、縁ある人の交流は皆仲がいい、これが一番館長の喜んでること、切磋琢磨励まし合いながら、頑張る事の中に教育がある、肌で感じ答える。今日も二時間の練習は休みなく続く、やり抜いた人に幸がある。

2016年5月16日月曜日

週末土曜日の暖かい一日でした!二時間休み無い練習に週一回組は大変な事でした!週一回ではなかなか進歩は難しい事ですが、一週間の心の垢抜けと心の切り替えには多いに役立つ、子供達は最後まで掛け声は途絶えない、元気な子供達の掛け声は指導側が元気をもらう、一般の皆さん『仕事は楽しく、趣味は真剣に』生き甲斐持てる事は素晴らしい、喜怒哀楽の人生、生き甲斐をしっかり持ってる人は強い、野も山も花だかりの新緑に溢れたこの季節、爽やかな気合いが人生観に繋がる、横浜に来て48年、長い歳月の流れ多くの人の出会い、続けてこれた事は今更ながら自身を誉める、良く頑張ったと、多分純心な子供達と向かい合う事が私の生き甲斐になってたからかな~と、『少林寺流錬心舘』流にそれた者もいる、真意はわからない、心と心の反が合わなくなったら、面子と面子がぶつかったら、信義も成り立たないのかな、風の便りで詰まらない事が入って来るが全く意に置かない、詰まらない話しを聞くこともない、私の流儀で守らなければならない、少林寺流錬心舘、形にはまらない創造性のある、良い空手道である。次の世代に曲がらず繋げていきたいものである‼

2016年5月7日土曜日

春の風は爽やか中、の訃報

写真一番上アメリカワシントン『佐藤譲二三段62歳』の訃報が昨日届いた。48年前その年の第一期の生徒で当時横浜山手通りのインターナショナルアメリカンスクールの高校生、以後フランスに留学、アメリカで通訳の仕事をして日本とアメリカの橋渡しをしていた。空手が好きで帰国しては尋ねてくれた。館長語録が好きで思いを走らせてた。風流な男で高校生の時の過激な山積みされたエピソードが生活を支えてた。30年前彼らの招きで三週間ワシントンDC を尋ねて、アメリカでの彼の友人達にお世話になった、ジョウジタウンの町並み、ニューヨクであの、テロ事件の貿易センタービルから自由の女神を望んだ。小さな飛行機に乗り継いで、カナダの近くサランレーク世界のリゾート、中国皇帝が寝るようなベッドと豪華な室内、私は落ち着かなかった事を思い出す、水上スキーに何の指導も受けず、いきなりチャレンジして海面深く沈んで、『アレー死ぬとはこんなことかな』公園ではリスが戯れ広い芝生で皆でバーベキュウした事、とにかく陽気な国、接待してくれた総支配人のリビーも昨年ガンで亡くなった。佐藤譲二は交友の広い男であった。頭のいい男であった、面白い男であった、人を裏切らない誠実な男であった、何よりも空手が好きだった。私の指導する空手が好きだった、大きな行事終えて安堵しての最愛の弟子の訃報が伝わり、時間が止まってしまった😵💧あれから48年たってた。何があってもおかしくない年令になっていた。帰国そうそう、押忍!!と突然あらわれて、状況報告して短い時間を埋める様に話しに花が咲く、昨年の事だった。英語で私の自伝を書くのだと張り切ってた、顔が出てきた‼結婚もせず、好きな行き方をした男だった。形にはまらない男だった、最後は国防総省の仕事、オバマ大統領の通訳をするまでになってた。無念でならない。今日は生徒には話しはしたが、今日の練習は追悼練習でした、佐藤譲二さようなら、さようなら、

2016年5月2日月曜日

中区元町小学校で最後の仕上げ

親善演武大会、演武参加の空手道最後の仕上げと調整を元町小学校体育館で行った。連休中の事と突然の参加要請で都合付かない生徒も多かったが、主力メンバーは全員集合した。その意気が大切と勝手に思う。本日参加の生徒を軸として編成します。強い意識がなければ拳は成熟するものではない!本当にこの若者達に必要なものは、何か、指導しながら学ぶ、世の中は今まで経験した事のない便利な時代となった、その害も多い、一見平和な時代、横浜に上京し48年を過ごした歳月、宝の歳月の過ぎた夢を馳せる、破天荒な時であった。不出来な師匠のもと、信義を大切にする空手に限らず、出来のいい御弟子が数多く育ってる、大型連休良い休日をお過ごしください。