2018年10月21日日曜日

錬心舘関東地区本部創設50周年祝賀会

昭和44年「50年前」2月17日、鹿児島から横浜に横浜華僑総会の招きで上京した。弱冠20歳の若党青二才の旅立ちだった。
錬心舘総帥宗家保勇先代にある大会での活躍か観戦していた、華僑青年の心を動かし、先代の元に依頼が会った。

「三代君!君に白羽の矢を立てる」
重たい言葉を受け止め、世間知らずの田舎者が、空手道で関東の地に来てしまった。
横浜駅に迎えに来た三人が驚いていた。着の身着のまま、空手衣と棒だけ持って降りたからだ。ぬ

無からの旅立ちに物はいらない、新天地で少しずつ賄えばいい、と思ってた。
中華街のアパート六畳一間リンゴ箱がテ〜ブル代わり、上京間もなく、依頼者側総会青年部との話が随分違う、始めての二ヶ月だけ保証受けて、後は勝手にやれ、の無責任な回答をもらった。
来た以上、やるしかない、そうだ?
ここは誰一人頼る人はいないんだ、
20歳の田舎者、食するにも事欠きながら、反骨精神は受動始めた。

錬心舘横浜支部、中華街の一角から未熟な者が自己研鑽の試練に立ち、ながら指導者の道を歩み始めた。
破天荒が何故か許される良き時代でも会った。
本日は古い当時の縁ある人々、現役の拳士、各支部の有段者、100数十名各地各方面、中華街華正楼に集まった。
和やかな爽やかな、清々しい空気が流れてた。懐かしい昔のお弟子さんも遠路から駆けつけてくれた。会場には三代目宗家、連盟会長から花輪が届いていた。
現役の拳士は皆さん小まめに働いていた、皆仲間、楽しそうだ、
私を皆が大切にしてくれる、師範達が良く状況を確認している、会場は笑いが絶えない、これが関東地区本部の教えだ、厳しく共楽しくなければならない、
自分を後にして人をたてる、義理と人情を強く唄う、日本人の最も大切な事を、誇りを持って伝える、
それがわかる人達の集まりであって欲しい。
50年半世紀、厳しい状況や人間不振を感じたり、育てた弟子が去っていく、空しさ感じたり、山あり谷あり風雨あり、それが人生だと思ってる、
錬心舘も先代、二代目、三代目と移り私の名前は三代、シャレにもならないが、何か縁を感じる、武道の世界は理不尽な事もある、創設50年次世代が動き始めてる、各支部の余興もなかなか手の込んだ思考だった、出席した人々はその時その時の顔があり、歴史がある、私の大切な玉手箱にしまってる、

次世代の者達よ、夢を持て、
次世代の者達よ、希望を持て
次世代の者達よ、義理と人情を持て
積み重ねた物を更に進化して、努力あれ
つまらない雑音に心を動かさない、
信念を持て、
破天荒に生きてきた、老兵の言葉を少し聞きな、
人間強がり言っても、弱いもの、人生一度、精一杯頑張ってみな、頑張りもしないで、駄目だ、俺には向かない、弱音を吐くな、一歩足を踏み出さなければ、何も変わらない、
キャッチポ〜ル出来ないのは我が家だけで沢山だ、

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