中国浙江省天台山、仏教の聖地、古の最澄修行の源、天台山は1000mの山並みその麓に国清寺がある、参道には出店、お土産屋さん全くなし、静寂のたたずまい、正気溢れ文明から孤立した場所、フト人生の機敏を思う。昨年暮れに訪れた、天台山は視界無い霧のなか、曲がりくねり一時間で山頂の修行僧の坊に着く、滝の音、沢の流れ、現世から離れた場所、日本からの最澄始め修行僧は艱難辛苦の中でたどり着いて、自己を無にする修行を怠らなかった。理解しながら理解出来ない私がいる。歳だけは一人前にとった私がいる。地位や名誉に興味ない私がいる、ここにたたずんでると、色んな煩わしさが飛んで行く、人間らしくなる。流水不腐、昔の人は貧困な中に風流を求め、理不尽な圧政に耐えながら何を思い、何を糧に過ごしたか、そんなことを考えながら、過ごした時間は貴重だった。年が明けて一月も終わろうとしている。明るい話題は伝わって来ない、しかし人の欲には限りがない、その中で満足を知るものは希望の灯火を何時も照らしてる、深山の中で孤独感を味わい、道なき道を求めた、僧達、心の量を頂いた、よい旅だった。
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