2016年6月3日金曜日

38年前横浜文化体育館、全国大会

横浜在住48になる今年、大事に大事に使ってる『お湯飲み茶碗』38年前少林寺流錬心舘全国空手道選手権大会を弱冠30歳で実施した、会場の都合で11月と言う通常とは異例の月、二日前は台風直撃、初めての開催、弱小拳団、無い知恵を一杯使った懐かしい思い出、少数精鋭純真無垢に成功だけを考えて準備した。先代保勇宗家の恩返しの大会だった。横浜中華街萬珍僂が祝賀会のこれ又異例の会場、台風直撃の後参加が懸念されたが、みんなみんな横浜入りして頂いた。大会全日羽田空港に着き始めた頃、大会演武に大きな中華料理ザーサイの瓶の四方割りを計画した、分厚いカメは未だ試した事がない、大会前に試したいと試みた、蹴り一撃、カメは粉々に私の足も負傷、カガトの肉がソックリ穴が空いていた、周りの生徒は明日の大会開催を前の惨事に大慌て、病院行って治療して、右足負傷しまだ左足があるので『先生ヤツテいいですか』の質問に先生からきつく叱られた記憶が甦る、若いて無鉄砲でいいよね❗その夜は祝賀会、同門が横浜10年経過の苦労を讃え大会開催を共に喜こびあった。先代保宗家奥様は成長を評価して頂いた。足のケガは『お前らしい事だ、と宗家に呆れ心配頂いた』宗家の還暦御祝いの為に祝賀会で記念品に造ったのが、写真の湯飲み茶碗その字は『上敬下愛』書家白川硯舟〔私の家内の父〕貴重な書字です!この湯飲み茶碗は私の一つの歴史何です。先代保勇宗家の葬儀の遺体の上にこの湯飲み茶碗が置かれてた。湯飲み茶碗を『宗家も気に入ってました』と奥様がおっしゃつてました。先代宗家の戦争、空手道創建と激動の時代が終わりを痛恨の想いでお見送りをした、全国大会はこの時からゼッケン番号を採用した。大会終了しご宗家御夫妻と箱根に小旅行したことが38年前の秋だった。私の宝物『上敬下愛』の湯飲み茶碗、そこに私の歴史がある。井戸を掘った人の恩を忘れるな、人は目につく所しか見ないが目に見えない所にこそ事実がある、

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