2016年5月7日土曜日

春の風は爽やか中、の訃報

写真一番上アメリカワシントン『佐藤譲二三段62歳』の訃報が昨日届いた。48年前その年の第一期の生徒で当時横浜山手通りのインターナショナルアメリカンスクールの高校生、以後フランスに留学、アメリカで通訳の仕事をして日本とアメリカの橋渡しをしていた。空手が好きで帰国しては尋ねてくれた。館長語録が好きで思いを走らせてた。風流な男で高校生の時の過激な山積みされたエピソードが生活を支えてた。30年前彼らの招きで三週間ワシントンDC を尋ねて、アメリカでの彼の友人達にお世話になった、ジョウジタウンの町並み、ニューヨクであの、テロ事件の貿易センタービルから自由の女神を望んだ。小さな飛行機に乗り継いで、カナダの近くサランレーク世界のリゾート、中国皇帝が寝るようなベッドと豪華な室内、私は落ち着かなかった事を思い出す、水上スキーに何の指導も受けず、いきなりチャレンジして海面深く沈んで、『アレー死ぬとはこんなことかな』公園ではリスが戯れ広い芝生で皆でバーベキュウした事、とにかく陽気な国、接待してくれた総支配人のリビーも昨年ガンで亡くなった。佐藤譲二は交友の広い男であった。頭のいい男であった、面白い男であった、人を裏切らない誠実な男であった、何よりも空手が好きだった。私の指導する空手が好きだった、大きな行事終えて安堵しての最愛の弟子の訃報が伝わり、時間が止まってしまった😵💧あれから48年たってた。何があってもおかしくない年令になっていた。帰国そうそう、押忍!!と突然あらわれて、状況報告して短い時間を埋める様に話しに花が咲く、昨年の事だった。英語で私の自伝を書くのだと張り切ってた、顔が出てきた‼結婚もせず、好きな行き方をした男だった。形にはまらない男だった、最後は国防総省の仕事、オバマ大統領の通訳をするまでになってた。無念でならない。今日は生徒には話しはしたが、今日の練習は追悼練習でした、佐藤譲二さようなら、さようなら、

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