2016年11月8日火曜日

イダと言う時の神頼み

私の原点は空手道から始まります。何故か秋深く木枯らし吹き枯れ葉舞う時、家事一切をやるなか、少年期を思いだす、抜けられない貧しさや、一人子の寂しさや、子供ながらに闇夜から光りを探してた、いじける事なく泣き言言う事なく未来を見てた。両親が早くに旅立ち、甘える事なく歩いた日々、九州の大分の山間の郷は我がふるさと、~ウサギ追いしかの山~~~歌通りの良い郷だ、新聞少年は雨の日も、風の日も、嵐の日も、駆け足で会う人会う人に挨拶しながら、通った道、『あれは人生の道だった気がする』追い詰められた時は月に良く祈ったものだ、苦しい時の神頼み、祈る事でしか出来ない時は、祈ればいい、なんとなく気持ちが落ち着く、人生も後半期に来て、私がこの横浜にいる事の不思議、人生、きっかけと縁と決断、運命の糸は流れを繋いでくれる、そして多くの試練を与えてくれる!乗り越えよ❗乗り越えよ❗越えると、少しの幸せを与えてくれる!この繰り返し、今日はどうしたのか、過ぎた日々が蘇って来る、振り返ればそこに未来があった。家庭事情でここ一ヶ月安心出来る指導員に任せ、お世話になっている。本当にありがたい事だ、いつ何が起こるかわからないのが人の世、悠々自適の年になっても安堵出来る時はない、何事も修行と思えば身の苦しみは消える、と高僧道元はいった。その心境になかなか慣れない、空手道と向かい合い、長い年月を費やした、多くの生徒を指導させてもらった、空手道の技術のみならず人として自分に責任が取れる人になって貰いたい。頑固でなく人の話を受け入れる、器を持ちつつ自分がぶれない信念の拳士になって貰いたい、時代は変わろうが、自分を持ってる者は強い。迷ったら、天に祈ればいい。苦しい時の神頼み、気持ちが落ちついて来る。秋深い今年の過ぎた日々が甦り、新たな年に希望を育てる月である。自分にいい聞かせてる。

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