2017年2月21日火曜日

青雲の志、一枚の写真

一枚の写真を頂いた。貴重な写真だ、18歳の頃、右上福岡県連合会上野会長、下左から二番鹿児島県総本部長重村師範、上から三枚目の写真、三代目推戴祝賀会の写真の中に、現代の重村師範前、となり上野師範、私は右下二人目52年前の写真を泊師範に昨日頂いた。大分県から鹿児島県に空手、錬心館があるから行った。進学まも就職も蹴って、一途な思いで。指導者なるなど思ってもなかった。空手を自分のものにしたかった。男は学問よりも強さだと思い込んでた、一途な年齢、質実剛健、強さが全てだった。あの頃がなっかしい、背中に背負うもの無く、心の赴くまま我が身を酷似し打ち込む事が美徳だった。強くなりたい、今思うに何故強さが必要だったかいない家には、温たか味がない、そのなかで曲がらず素直に育った。今の若者とは価値観が全く違ってた。貧乏が苦にはならない、田舎の生活は回りの持ちつ持たれつ、の田舎の生活は血が通ってた。好きな事がやれてる事が幸せだったと思う。親1人子1人、不便きわまりない事が今思うに良き時代だったと思う、戦後21年、昭和41年、今ある基礎が養われた時期。鹿児島でタイヤの会社に入社して鹿児島弁に苦労しながら、鹿児島の北薩担当をした、姶良、国分、隼人、牧園、霧島、栗野、大口、我が担当地区、国道はジャリ道悪路を走ると土ボコリ、良くパンクした、車の中には必ず空手着が入ってる。仕事の合間に空き地あれば練習した、昨日当時の拳友と良く語った、段々昔の景色が甦る。一昨日鹿児島市内の総本部二代目宗家の仏壇に挨拶に行った。道に迷った、変わり果て、何もなかった場所はビッシリ住宅地、50年以上の時が過ぎてる事を改めで実感!幾度に先代宗家の訓話、『社会の建設は己の形成にある。』人間形成をとうとうと語る先代はいない、後を次いで16年二代目も世を去った、三代目の推戴式を我が人生で三代目迄迎えようとは思いもよらなかった、私も三代の名字は三代目、意味が違うか、歴史は忘れられ新たな歴史がうまれてる。積み重ねて来た歳月は失敗の中で学んだ、走り続けた時間は宝物、次の世代に何がしてあげられる、と思案してる、自分さえ良ければ良い人間の考え方は国を滅ぼす、共存共栄、頭ばかりの知識、カラタばかりでかくて、感謝や尊厳を無くした、社会からゆとりある、幸せでは疑問です。我が身が自由にならない現実、この中で出来ることは頂きあるだろう、今回の鹿児島は忘れかけていたものの原点を感じた。帰りの飛行機は強風で羽田着陸繰り返し、飛行機は強風にあおられ、ヤバい、状況で着いた。良い体験だった。同行した、野中、今井二人の師範と気遣い頂いた安蒜さんに感謝します。

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