練習の虫だった。何時も一人で黙々やることが好きだった。誰にも邪魔されない時間だった、そして、何時やめても、やっても、誰からも誉められない、孤独感と背中合わせ、修業とはそんな事と勝手に決めつけてた。大会とかは全く目標ではなかった。自分の可能性に挑戦していた。何だったんだろうか、短い期間なら誰でもやれる、私は才能があるとは思ってない、目標をだて。努力出来る事が才能と思っている!そうして、上手く行かないこと、失敗の中から学んだ事、が後から力になる、一人前になるために故郷の環境が私を育てて来た。良きも悪きも私の姿です。新聞少年だった私事を、後で同級生の親が、新聞配達して元気に挨拶して走ってる姿みて、あの子は何かやる子だよ、と話していたようです。家庭的に父親と二人の味気無い家、今にして思えば!空手道との出会い、太極拳との出会い、全て偶然ではない、心を満たすものを探していた自分がいた。人間力の無いものが、頭でっかちで学歴社会で心、内面か鍛えられてないと、お役に立っとは理解出来ない、引きこもり、なってる暇はない、与えられた命を何だと思ってるか?理屈ばかり優秀で、情の薄い利己な人が人
間関係を豊かに出来るでしょうか、社会の矛盾に押し潰されてしまう、過保護の精神が役に立たない、叱られるとすぐ萎える、自由教育などと賢い方々が修身の尊さを忘れたからです、甘ったれが我慢という精神を親が教えなかった、つけとして正確がすぐキレる、文明の社会現象で今異文化精神が尊厳なき心不在の社会を作り出している。この国の原動力は若者にあります!過保護な親バカ教育の温暖化、人間教育は礼と節から始まる、お隣の国々の様に、謝る事が出来ない、都合のいい国益ばかり考えてる、力で畳み込む、戦国時代ではありません、小さな大国日本を何時も誇りに思いたいが!精気の無い若者を見ると、お前逹の時代大丈夫かい、少し嘆かわしい、
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